お金への幸福度は、口にしてしまうと簡単というか普通の話すぎて自分でも呆れたのだが、
「お金の入り方に対する感覚・感情」と「お金の出方に対する感覚・感情」と「生活ができているか」で方程式が組めるみたい。
ちょっと仕事で限界を感じて、このような考えがふとでた。
仕事の悩みってのは色々あるが、自分の場合はお金や生活への悩みでもある。
自分はこの3つのうち、
「お金の入り方に対する感覚・感情」
に違和感があったらしい。
お金への幸福度は、口にしてしまうと簡単というか普通の話すぎて自分でも呆れたのだが、
「お金の入り方に対する感覚・感情」と「お金の出方に対する感覚・感情」と「生活ができているか」で方程式が組めるみたい。
ちょっと仕事で限界を感じて、このような考えがふとでた。
仕事の悩みってのは色々あるが、自分の場合はお金や生活への悩みでもある。
自分はこの3つのうち、
「お金の入り方に対する感覚・感情」
に違和感があったらしい。
与える事により本人(正確には全体)が減る場合は、
それは「切り分け」という。
受け手が悪人なら得たと捉え、
受け手が善人なら取ってしまったと感じる。
切り分けているうちは悪人の方が多く寄ってくる。
もう得られないと知った悪人は凶化する。
シンに与える人とは、自分にも他者にも優しい者の事を言う。
2021年2月15日付の投稿。
20代〜30代の者達。
インディゴ世代と呼ばれている世代。
旧世界を破壊し、クリスタル・レインボー世代へと未来を切り開く世代。
スピリチュアルに興味ない方でも今の20〜30代は、70〜80代の世代が引退したあとに力を発揮するという人もいる。
今の日本の世代構造は、旧世界を主導した70〜80代の人が未だに居座ってる状態だ。
((そもそも私はこの世代構造という考え方が好かんのだが…人類みな一緒よ))
これは起こっていることが正しいという感覚で、話を立ち上げ切り口を整えると、
・旧世界は男たちの論理が支配する世界
・競争のステートが下がり、奪い合いや独占が主とされる世界観
・感情は2の次
実際、今も権力を握っている層は強いんだ。それは当然。上の世界観で生き残ったツワモノ。
席を譲る気概のある方や、キープできなかった方は既に引退してなお生き残った者達。
しかし、時の流れで彼らの離席を待つには
インディゴ世代はいささか生まれるのが早い人達なのだ。
彼らが時の流れで完全に隠居するまで待つと、あと10〜20年かかる。
30代後半ならそこまで待つと今度は自分達の隠居が迫る。
20代も、「本当の自分で生きる」にはシンドイ世の中で華の時期を過ごすのは正直に痛い。
だから我々の世代は加速して席を取りに行く必要があるのだ。
本当の事でしか生きられなくて、本来争いも好まない。だが、争いの世界を駆逐し破壊するために最後の一太刀を入れる。
そんな世代なのだ。
どうしてそのような目覚めが起こるのか、そのメカニズムはおそらく神のみぞ知る。
男尊女卑、男卑女尊 がいけない。イケてない。
ということは、世間的にかなり周知されたとおもっている。
だけど、私の造語ではあるが
理尊感卑、理卑感尊
についてはサッパリ認知されていないとおもう。
理性尊重。感性卑下。
逆も然り。
理性卑下、感性尊重。
私は大学は理工学部卒で、仕事もシステムのインフラエンジニアをやっている。
ので、理系的な側面もあるが、
神社仏閣は大好きだし、スピリチュアルな話やトンデモ話も大好きである。
だからどっちの意見も、当事者レベルで理論も感情論も理解できるし共感している。
そんな私からすると、理論派は感情派を卑下しているし、
感情派も理論派をバカにしすぎである。
ぶっちゃけどっちもやってることは異教徒狩り。
陰陽の入れ替わり。波の動きに乗っているだけである。
波の動きは摂理で逃れられないが、
情報的進化は基準をあげ、波の動きから逃れること無く世界を良くする手段である。
年功序列は人口ピラミッドが▲を維持してる間は全体という概念に対して「一定・1側面」の効果がある仕組みだとおもいます。
ですが、人口ピラミッドの反転はその制度をオワコンにします。
単純に若者への負担が増すのもありますが、
少子高齢化はプラスの恩恵として、
一人ひとりの子供へ注がれるものが多くなります。
親からの愛や手間暇や物的恩恵もですが、
子供に対して大人が多くなるので社会からの恩恵も親、祖父母世代よりも多いです。
子育て経験のない自由な大人からの恩恵を社会を通して受けれます。
そうなると、自由で自分の欲しいを言える子供が自然と増えるんです。イラナイも言います。
人によってはネガティブニュアンスを含めてワガママと言うでしょう。
現代の日本において、
ゆとり教育は失敗だ。
若者が〜
という人は、おそらくここの変容が受容できてないか完全に抜けてます。
ビジネスライクな言い回しをするなら、需要が変わったのです。
なんなら、そのワガママ層が社会進出してるので供給も変わっています。
それはもう、個人や層とかではなく、マーケットが変わった。そういう話です。
若者奴隷制度は破綻してるんです。
若者奴隷制度ではイケてる供給に対して需要もなければ消費意欲もわかないのです。
色々あるけど、脳天直撃する感じの大好きです。
なんというか、ぐぅの音もでないというか、本質に直撃してるのに火力最大で脳震盪起こして麻痺ったあげく一周回ってシビレル感じ?
今日もツイッターランドでガチなやつあって、
上記の素晴らしいバズツイが回ってきました。
こういうの好きです。
超絶パワーワードがキマった感あって好き。
降りてきたワード保管目当てなう。
キメツ の刃と語呂感近くない?
みたいな小学生並の発想。
なお、インスピレーションなのでその物言いは失礼な模様。
みんな大好きリテラシーって文脈かりるなら、
メンタルリテラシーっていう概念がない時点でリテラシーもくそもねぇわwwwワロス
という辛辣な心境にございます。
今まで、「もうそういう暗いことは興味ない」「関わる気はない」
けど、「どうにも情報をみにいってしまう」「調子が変わると戻る」
みたいな事象に「潜在的なもやもや」を感じていた。
だが、どうにも今日いっこおもったのが、
「眼を背けたくはない」と「そっちへ行く気はない」の境界線
があるようだ。
たしかに、「主観、一人称として興味はない、関わる気はない」
のだけれど、「眼を背ける」という観点においては「まだ関わる気がある」ようだ。
完全に知らんぷりするのも、それは全体最適を征くうえで違うのではなかろうか。
という観点。
だから、観点と関わり合う深さは変わっていくとおもう。
というよりも無自覚なだけですでに変わったのだろう。