インディゴ世代の宿命

2021年2月15日付の投稿。

20代〜30代の者達。

インディゴ世代と呼ばれている世代。

旧世界を破壊し、クリスタル・レインボー世代へと未来を切り開く世代。

スピリチュアルに興味ない方でも今の20〜30代は、70〜80代の世代が引退したあとに力を発揮するという人もいる。

 

今の日本の世代構造は、旧世界を主導した70〜80代の人が未だに居座ってる状態だ。

((そもそも私はこの世代構造という考え方が好かんのだが…人類みな一緒よ))

 

これは起こっていることが正しいという感覚で、話を立ち上げ切り口を整えると、

 

・旧世界は男たちの論理が支配する世界

・競争のステートが下がり、奪い合いや独占が主とされる世界観

・感情は2の次

 

実際、今も権力を握っている層は強いんだ。それは当然。上の世界観で生き残ったツワモノ。

 

席を譲る気概のある方や、キープできなかった方は既に引退してなお生き残った者達。

 

しかし、時の流れで彼らの離席を待つには

インディゴ世代はいささか生まれるのが早い人達なのだ。

彼らが時の流れで完全に隠居するまで待つと、あと10〜20年かかる。

30代後半ならそこまで待つと今度は自分達の隠居が迫る。

20代も、「本当の自分で生きる」にはシンドイ世の中で華の時期を過ごすのは正直に痛い。

だから我々の世代は加速して席を取りに行く必要があるのだ。

本当の事でしか生きられなくて、本来争いも好まない。だが、争いの世界を駆逐し破壊するために最後の一太刀を入れる。

そんな世代なのだ。

どうしてそのような目覚めが起こるのか、そのメカニズムはおそらく神のみぞ知る。

男尊女卑、男卑女尊 と 理尊感卑、理卑感尊

男尊女卑、男卑女尊 がいけない。イケてない。

ということは、世間的にかなり周知されたとおもっている。

 

だけど、私の造語ではあるが

 

理尊感卑、理卑感尊

 

についてはサッパリ認知されていないとおもう。

理性尊重。感性卑下。

逆も然り。

理性卑下、感性尊重。

 

私は大学は理工学部卒で、仕事もシステムのインフラエンジニアをやっている。

ので、理系的な側面もあるが、

神社仏閣は大好きだし、スピリチュアルな話やトンデモ話も大好きである。

 

だからどっちの意見も、当事者レベルで理論も感情論も理解できるし共感している。

 

そんな私からすると、理論派は感情派を卑下しているし、

 

感情派も理論派をバカにしすぎである。

 

ぶっちゃけどっちもやってることは異教徒狩り。

 

陰陽の入れ替わり。波の動きに乗っているだけである。

波の動きは摂理で逃れられないが、

情報的進化は基準をあげ、波の動きから逃れること無く世界を良くする手段である。

 

 

若者奴隷制度の破綻

年功序列は人口ピラミッドが▲を維持してる間は全体という概念に対して「一定・1側面」の効果がある仕組みだとおもいます。

 

ですが、人口ピラミッドの反転はその制度をオワコンにします。

 

単純に若者への負担が増すのもありますが、

 

少子高齢化はプラスの恩恵として、

一人ひとりの子供へ注がれるものが多くなります。

 

親からの愛や手間暇や物的恩恵もですが、

子供に対して大人が多くなるので社会からの恩恵も親、祖父母世代よりも多いです。

子育て経験のない自由な大人からの恩恵を社会を通して受けれます。

 

そうなると、自由で自分の欲しいを言える子供が自然と増えるんです。イラナイも言います。

 

人によってはネガティブニュアンスを含めてワガママと言うでしょう。

 

現代の日本において、

ゆとり教育は失敗だ。

若者が〜

という人は、おそらくここの変容が受容できてないか完全に抜けてます。

 

ビジネスライクな言い回しをするなら、需要が変わったのです。

なんなら、そのワガママ層が社会進出してるので供給も変わっています。

 

それはもう、個人や層とかではなく、マーケットが変わった。そういう話です。

 

若者奴隷制度は破綻してるんです。

 

若者奴隷制度ではイケてる供給に対して需要もなければ消費意欲もわかないのです。

ぼくの好むパワーワード

色々あるけど、脳天直撃する感じの大好きです。

 

なんというか、ぐぅの音もでないというか、本質に直撃してるのに火力最大で脳震盪起こして麻痺ったあげく一周回ってシビレル感じ?

 

今日もツイッターランドでガチなやつあって、

 

上記の素晴らしいバズツイが回ってきました。

 

こういうの好きです。

キメツケの刃

キメツ の刃と語呂感近くない?

 

みたいな小学生並の発想。

 

なお、インスピレーションなのでその物言いは失礼な模様。

メンタルリテラシー

みんな大好きリテラシーって文脈かりるなら、

メンタルリテラシーっていう概念がない時点でリテラシーもくそもねぇわwwwワロス

 

という辛辣な心境にございます。

「眼を背けたくはない」と「そっちへ行く気はない」の境界線

今まで、「もうそういう暗いことは興味ない」「関わる気はない」

けど、「どうにも情報をみにいってしまう」「調子が変わると戻る」

みたいな事象に「潜在的なもやもや」を感じていた。

 

だが、どうにも今日いっこおもったのが、

「眼を背けたくはない」と「そっちへ行く気はない」の境界線

があるようだ。

 

たしかに、「主観、一人称として興味はない、関わる気はない」

のだけれど、「眼を背ける」という観点においては「まだ関わる気がある」ようだ。

 

完全に知らんぷりするのも、それは全体最適を征くうえで違うのではなかろうか。

 

という観点。

だから、観点と関わり合う深さは変わっていくとおもう。

というよりも無自覚なだけですでに変わったのだろう。

一番コアな部分は、コアであると同時に最も器でもある。

心臓と脳。

 

肉体の中でも最も中核である臓器。

 

ただ、中核ゆえに、それ自体は最も器でもある。

 

心臓だけでは人体は成立しない。

 

血液がなければ空打ちである。

腎臓がなければ、肝臓がなければ、肺がなければ。

 

そう、とたんに心臓というよりポンプになってしまう。

 

脳も、

神経がなければ出力先がなく空回りである。

手がなけれ、足がなければ、顔がなければ。

 

とたんに脳というより記憶装置になってしまう。

 

そしてその「中核≒器」の性質は他の臓器や機能の単位からみても同じである。

 

空性とは本当に素晴らしい悟りの境地だw

結局そこにカエルのである。

無事、そこにカエル。

生命と言う存在は、それ自体が波が高い状態にある。

これは精神的な意味でもそうであるが、

別の視点でみてもそうだ。

星と比べたら微量の質量だろうが、それでも見方次第でかなりの質量が集まっている状態である。

そして化学的にも高度な結合、作用をしており、毎日大量のカロリーを消費している。

 

E=mc2

 

それだけ大量のエネルギーを肉体を通して循環させ、肉体を通して動かしているのだ。

食事をし、燃やして火を起こし、電気を使う。

 

それだけエネルギーが高い状態、波が高い状態ある。