事実の可視化と解釈の付与

 

晩飯を食べながら思考を巡らせていた

 

時の話です。

 

 

事実は一つ

解釈は観測者の数だけ

 

2つの、かなり普遍的と言えうるモノを並べました。

 

例えば、今この瞬間。

この記事を観ている”あなた”は存在する事実。

 

そして、この記事を読んでどのような解釈をするか。

それはこの記事を観測(読む)してくれた人の数だけ存在するでしょう。

 

近似した観測結果はもちろん何パターンか出るでしょうが、完全同一・同様は思考までコピーしたようなクローン的存在でもいないとムリでしょう。

 

 

この話を持ち出した理由

 

私は、「幸せの方程式」とでも呼べるものを組み上げるのが目的で生きている節があります。

 

今のところ当然完成とかはしてないし、

普遍的な、物理式のように美しく一行にまとまるものなんて

む し ろ 存 在 し な い ^q^

 

と結構ガチでおもっています。

 

 

事実を可視化したうえで、それに対する解釈の仕方を工夫する。

それが一先ずの方法論として私の中から浮かび上がっている。

 

この結論自体は荒削りですが大学の卒論でたどり着いていたりします。(当時23歳。現在、満27歳)

 

ただ、ようやく確信地味た感覚が一周まわって巡ってきた感じです。

 

これは直近の一例なのですが、

 

ノートルダム大聖堂

 

派手に焼けましたね。

 

私が観測した範囲だけでも、何パターンか解釈が飛んできました。

以下、抜粋。

 

・燃えて無くなったのか、悲しい。ショック。 (たぶん数は一番多い)

・歴史的には重要な建築が燃えるのは定期イベント。 (日本の寺とかも燃える印象は確かにあるw)

・これは終わりであると同時に、はじまりである。 (スタートとしての肯定が強い解釈、私は愛しています)

 

大聖堂が燃えた

 

これは事実で変わりようがありません。

 

そしてわかり易いほどに可視的です。(不謹慎な意味じゃないよ?w)

 

でも、そこに対する解釈は様々なんです。

 

 

実際、列挙した例からも

 

・明確に悲しんでいる人

・ある意味冷静に捉えてる人

・ポジティブな解釈をしている人

 

の姿が私には浮かび上がります。

当然、この文章に対しても無数の解釈は存在するでしょう。

 

 

コントロールできる可能性があるとしたら、解釈の部分である。

 

ここは私は大学の卒業間際から一貫しておもっています。

 

まぁ、実際はその解釈の変更が難しいから苦労するのですが(笑)

 

だって、解釈なんて逆にコロコロ変わりすぎてたら忙しくて大変でしょう…w

 

上司が日毎に言うことが変わって、振り回されて大変。

 

って人もいるかとおもいます。

 

私は、言うことがコロコロ変わるのは良い事だとおもう派です。

 

まぁ、もちろん。影響を受けて振り回されるとくたびれる。っていう経験はありますが、

 

変化がない。埒が明かない。ってコトに少しばかり恐怖をもっているのでw

 

 

ちょっと脱線しすぎました。

 

「幸せの方程式」と「解釈の変更」で結合して考えるならば、

 

これは結構な重要パーツなんです。

 

尺度をたくさんもつ、知る。

 

ということも大切ですが、実際に別の尺度を使ってみる、選んでみる。

 

これって結構たいへんで勇気のいることなんですよね。

 

会社に新しい仕組みとかITシステム導入するのも検討した末に

 

「やっぱり辞める」

 

とか普通にあるじゃないですか。もちろん個人レベルでも。

 

 

ちょっとまとまりがつかなくなったので、この記事はここまでで。

 

別記事で「幸せの方程式」についてもっと話します。

 

※追記

続き的な記事はコチラ

「幸せの方程式」 人類未踏の聖杯

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けんいち

けんいち

人が好きな癖に人と関わるのが苦手な人ですw オタクとゲーマーの味方。 もっと言うと人類の味方。 詳細はこちら